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2007年10月15日 (月)

平和主義エゴイズムに陥る沖縄県民

 今日午後2時から議員会館

 参院側で「沖縄集団自決:教科書検定撤回反対派」

 衆院側では「同検定撤回派」が

 それぞれ集会を行い渡海文科相に申し入れを行う。

 では

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 これとは関係ないように思うかも知れないが

 13日夜日テレで放送された「世界一受けたい授業」の中で

 武田鉄矢

 「宮澤賢治の”風の又三郎”という童話は少年期→思春期への移行において

 つまり大人になるには”死”というものを意識しなければならない

 という意味に私は解釈する」

 と言っていたことを思い出した。

 つまり

 生と死は別々ではなく・つながっているのだ。

 (と生という漢字と死という漢字を黒板で上下でつなげてみせる)

 だから

 嵐などでそれに耐えられないカリン胡桃(クルミ)の青い実が落ちてしまうのは

 大人に成り切れないで挫折してしまう(弱い)少年を示しているのだ。

 (賢治の”風の又三郎”には”強風”を歌った詩が最初に出てくるし・死のイメージが随所にちりばめられている)

  

 般若心経

 「色即是空」とは

 形ある物は必ず壊れ・物事は片時も無く変化する

 という意味である。

 しかしそれに続く

 「空即是色」とは

 人間は必ず死ぬ運命にある空しい存在だが・今現在生きていることに素直に有り難いと思う

 という意味の

 否定の否定は肯定!

 (-)×(-)=+

 なのである。

 上記の武田鉄矢の(生と死の)言葉と同じに

 (色即是空と空即是色は)ワンセット

 なのだ。

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 空=無

 ではない!

 色即是空を虚無と訳してしまうと

 生きる気力を失ってしまう。

 (自己中心的な)我執であり・錯覚になりやすい。

 仏教では「倒覚」と言う。

 そこで

 もう一度・否定(第二の否定)が必要になってくる。

 空即是色と・・・

 否定の否定は肯定だから

 「空自身」の否定となり・絶対の否定となる。

 自分を始めとするすべての存在が、そのままに真の存在として

 この世界いっぱいに生かされてくるのだ!

 これが

 般若心経の真髄である。

 この要諦は

 「否定する自分自身にも捉われない」(執着しない)

 ことである。

 禅で言う

 「考えない」(という意識も)ことも考えない

 (座禅の心得)

 と同じことであろう。

 分かりやすく言うと

 座禅で「無念無想」を実行しようとして

 「考えない!考えない!」

 と心の中で唱えていると

 「”考えないことを考えている

 ことになってしまうからである。

 

 最初の沖縄集団自決:軍の強制の教科書記述検定問題(長~いね?笑)に戻る。

 沖縄県民が

 悲惨な戦争体験をしたのは事実である。

 しかし

 「戦争は悪・平和は善」

 に執着するあまり

 (仏教的な)真実が見えなくなっている!

 仏教では

 「生を愛し・死を嫌うのは偏愛(偏った愛)である

 としてこれを避けている。

 このような偏愛に陥れば

 「自己利益のためには何をしても良い!」

 「この世はお金がすべて!」

 「死ねば全部終わりだから・悪事を働いても楽しんだ方が良い!」

 となる危険が大きい。

 これを仏教では

 「歓楽極まって哀情多し」

 と中国の故事名言に喩えている。

 

 沖縄県民も

 自分の主義主張だけが尊厳だと思い込み

 「検定意見を敵視」

 するエゴイズムに陥ってはならない!

 「自分の意志さえ通せば良い!」

 と考えることが

 平和への道ではあるまいが・・・

 自己中心主義・沖縄中心主義ではなく

 本土から来て戦死した軍人たちにも尊厳を認め・その苦しみにも共感してこそ

 観自在菩薩

 の和やかな心境に至るのである。

 銀河鉄道の夜

 もそのような賢治の思いで結んでいる。

 「世界全部が幸せにならなければ

 個人の幸福もない・・・」

 重ねて言う。

 遠く故郷を離れて沖縄の地で・沖縄を守って戦死した

 本土の将兵の御霊(みたま)にも感謝を奉げてほしい。

 沖縄県民の御霊と共に・・・

 夜空の星には分け隔てはないはずだ。

 

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コメント

はとぽっぽ・さま
 沖縄県人の心情は複雑ですね。
 周りは海なので逃亡しようにも無理ですし・楽天主義なのでしょう。
 深く考えず「何とかなる」と不用意に飛び出してしまうのも日本人的と言えるのかも知れません(笑)。
 
ナルトさま
 仏教は難しく
 あっという間にひっくり返る理論です。
 ですから従来からのやり方が正解だと思います。
 
横川僧都さま
 そうですね。
 今朝の産経新聞にも
 沖縄にも「軍の強制はなかった!」と主張する有識者はいると出ています。
 ただ抑えられてしまうようです。
 何だか?これも強制と言っても良いのではないでしょうか?(笑)

投稿 柳生すばる | 2007年10月16日 (火) 15:05

現在のような県民性をもつ沖縄県民であったなら、中国の侵略があった場合、多くの日本人は沖縄を見捨てるでしょうね。沖縄というより沖縄の県民を。でも国土は守らなくてはなりませんから、県民諸共爆撃することを厭わないのでは?無理でもなんでも無理やり通そうとする県民性に嫌気がさすのも時間の問題でしょう。もう一年もたてば被差別民となることもありえるのではないでしょうか。

投稿 横川僧都 | 2007年10月15日 (月) 22:48

柳生さま、こんばんは。
先週は、私の迂闊なエントリにご指摘のコメントいただきましてありがとうございました。
いやはや、まぎらわしい集会名とはいうものの汗顔の極みです。

今回取り上げられている「空」の境地、虚無感の推奨ではなく、積極的に生きるための境地として、私も求めていきたいと思いました。

投稿 ナルト | 2007年10月15日 (月) 19:16

沖縄県民には三つの選択肢があります。沖縄戦では強制的に一つの選択肢が削られ二つから選ばされました。すなわち米軍を前にして逃げ出すという選択肢が削られ、勇敢に戦って死ぬか、戦わずに降参するかを迫られたのです。日本の敗戦はサイパン島が陥落した時点でほぼ決していたので、戦って勝利するという選択肢はありませんでした。沖縄県民におそらくそう遠くはない将来にまたそのような究極の選択を迫られるときがくるだろうことを予感し怯えているのです。親米保守は沖縄駐留米軍を肯定しています。敵の占領をよしとするならば、来るべき米中戦争(日中戦争)で敵と戦って死ぬという選択肢を選ぶ沖縄県民は出てこないでしょう。かといって戦って勝てるとは思えません。それから中国軍が捕虜を人道的に扱わないであろうことも理解しています。したがって沖縄県民の深層心理は敵前逃亡を欲しています。これは左翼の心情ではなく日和見主義者ないしノンポリの心情です。米軍のかわりに日本軍を配置すること出来れば、多少なりとも住民感情を和らげることが出来るかもしれませんが…。

投稿 はとぽっぽ | 2007年10月15日 (月) 17:17

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