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2009年7月 3日 (金)

公式外れ幸福の科学はニセ仏教!

 仏教は「法(この世界の法則)が先にあってから仏が生まれた」(法前仏後)

 キリスト教は「神がまずあり・それから法則が生まれた」(神前法後

 と考えるのであるから

 両者をごちゃ混ぜにしている(統合しようとする)幸福の科学は宗教ではない!

 では

 法(重力の法則やケプラーの法則など)は後か?先か?

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 キリスト教には

 旧約聖書 新約聖書・・・(モルモン聖書)

 がある。

 イスラム教には コーラン のみである。

 これらは「啓典宗教」(神の定めた唯一絶対の書物がある)と言う。

 これに対して

 仏教には 約3200のお経 があるとされている。唯一絶対なものはない。

 しかし

 釈迦(仏陀)直接の教えは

 スッタ・ニパータ

 と「法句経」(ダンマパダ)

 のみであると言われている。

 スッタとは”式 公式”のことであり

 ニパータとは”集める”であるから

 スッタ・ニパータとは「公式を集めたもの」ということが出来る。

 たとえば

 x²-a²=(x+a)(x-a)

 と言う数式は 誰が説明しても 何百年後でも 変ることがない。

 これと同じで仏教での不変な釈迦の教え

 「スッタ・ニパータ」なのである。

 

 ゆえに

 釈迦が直接言葉にされたことが ◎ とするなら

 それを分かりやすく解釈したものは ○ となる。

 ◎+○ までなら良いが

 釈迦の教えの解釈だけを次代・次代へと伝えて行くと

 ◎→○→△→×

 ・・・と 最初とは似ても似つかぬものとなってしまう!

 遊びで5人6人集め・背中に文字を順々に書いて伝えて行くと最初からは全然別の文字が最後の人に伝えられてしまうのが良い例である。

 

 であるからして

 「仏陀(釈迦)はこのように説かれました」◎

 「これを分かりやすく解説するとこうです」○

 と両方・並立させているなら良いのだが

 「仏教は こうあるべきです!」

 と言ったなら × である!

 これでは

 仏陀(釈迦)の意見ではなくて

 自分の意見 となってしまう・・・shock

 次世代には

 仏陀(釈迦)の完全な教えを伝えなければならない。

 解釈が一人歩きすることは許されない。

 迷ったなら・まず元に戻るべきだ。

 

 ところが

 この邪道を行っているのが今日の

 創価学会であり 幸福の科学 なのである!

 特に幸福の科学は

 仏教を名乗りながら・釈迦の元の教え(本当に言った言葉)を伝えずに

 大川隆法の解釈ばかり著作で述べている!

 国民は騙されてはならない!

 釈迦の本当の教え:スッタ・ニパータをぜひ読んで

 (丸暗記せよ!)

 それに反する解釈を述べている者はニセモノと判断できる知識と賢さを持って欲しいものである。

 

 では

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コメント

けんぶつ・さん ななしの経営者さん
 神道は習俗であり文化ですから私はこれからも尊重して行きます。
 手を合わせてもお賽銭を上げても害は無いですから・・・

投稿: 柳生昴 | 2009年7月 5日 (日) 23:58

田舎のダンディ・さん
6月5日 死出虫が左翼の野望と妄想を打ち砕く!
(右サイドバー 過去記事・保守の進化論にあり)
をご覧下さい。
そこには書いてありませんが・実は私は
「この発見(死出虫の子殺し)によって宗教は力を失うだろう」
「よって保守派は宗教無しで道徳を構築しなければならなくなるだろう」
と書くつもりでした。
親が子を平気で殺して食べる・・・
こんな残酷なことをさせる神が居るわけないじゃないですか?
少なくともキリスト教はこれで完全に否定されたと思っています。
仏教は
最終的には「方便」「如来も菩薩も空」ですから影響は無いのですが・・・
 
私は唯物論者ではありませんが
無神論 です。
科学は宇宙の構造を合理的に説明出来る日が近いと信じています。

投稿: 柳生昴 | 2009年7月 5日 (日) 23:53

私のような頭の悪い人間が物事の本質を理解しようとすると根本を考えようとします。私はこの宇宙の法則事態に何らかの意思があるとおもいます。そういった見方から宗教を考えると宗教の二つの面が見えてきます。
 一つの面はこの宇宙の真理に照らし合わせその宗教の考えが正しいことを言っているのか?
 もう一つの宗教としての面はお釈迦様の言っていることは正しいのかもしれないが宗教団体としての一種会社組織としての利益団体がお釈迦様がこういっているからと自分たちの宗教団体に都合のいいように解釈する輩がほとんどの宗教団体という面ですね。
 この宇宙の真理、普遍的な見方を追求することは正しいし過去の賢者と言われている方の教えは否定はしません。しかしその教えを広めようとしている宗教団体会社の人々は真理がわかっていない人がほとんどです。

投稿: ななしの経営者 | 2009年7月 5日 (日) 18:14

天主は消えず。

根拠・・人間の認識している世界の外へその存在をおかせているから。

絶対神宗教は科学の時代にも世界外存在として健在なのです。

日本の神は消えず。

根拠・・世界の中の畏怖すべきこと、命の不思議など科学的解明がはいりこめない、解明できないことがいくらでもあるからです。巨大な樹木を偉大であると崇めることは科学的知見とは無関係です。

プライマリーな相対神(絶対神にたいして、世界内存在という意味で)は不滅です。

仏教も消えず。

因果応報、輪廻転生の2つをとっても、悪いことをするな、よいことをせよ、という倫理にはもってこいである。生きているということは苦であるから、生まれ変わらないように修行を積め。これもおもしろい考えです。時空を超えて因果は巡るといわれれば、生きている我欲の主は縮み上がります。神へのすがりつきを否定し、自分の行為が自分の救いの姿である仏へ自分を導くというスタイルは厳しいとともに現代的ですね。

新興宗教もですが、それで飯をくうひとが出てくると堕落するんですよね。そこが痛いかな。私は、ひなびた神社が一番好きです。


投稿: けんぶつ | 2009年7月 5日 (日) 15:37

すばる大如来の庭先で、勝手な論争の展開は、極めて失礼とは思いますが、個人のブログの中にも、劇場としての役割りがあると思うのでお許し下さい。

ユーモアに生きる神さまへ

<宗教は元々は「科学」であった>というのは、正しい一面だと思います。しかし、現在でもなかなか究明しえないものごとを、正誤はともかく、人々に教えたり、説明したりすることができたのか。

科学万能論者の神さまには受け入れがたいかも知れませんが、科学といったって、まだまだ、真実のほんの一かけらしか理解出来ていない段階で、すべて理解できると即断することの方が非科学的姿勢です。

かつても今も、人間には、それぞれの時代・地域のレベルを超えた人間が存在し、指導者や教祖のようになったのは、そうした知恵を授けてくれた存在があったと考える方がむしろ科学的です。そのことが正しさを生んだか、間違いの元になったかは別にして。

現代の科学者も、すべてとはいいませんが、真実を究明すればするほど神の御技としか思えない事象にぶつかって、敬虔な気持ちに打たれることが多いといいます。真実はまだ何も明かされてはいないと考える方が真摯な姿勢といえます。

最後に言われたように、<宗教は・・危険な一面を有するのである。>は、その通りだと思います。しかし、何故そうであっても、それぞれの宗教が一歩も引かずせめぎあっているのかというと、それぞれの教えの中に、それなりの真実や正しさが内包されているからです。だから、「宗教は、人間にとって、今でも、これからも、かけがえのない一面を持っていくもの」と信じます。

大川総裁を受け入れるか、受け入れないかはあなたの問題です。決め付けないで、柔軟な気持ちで、もう一度見直してみて判断されればいいと思います。

投稿: 田舎のダンディ | 2009年7月 5日 (日) 12:11

 一応ではあるがHNで神を名乗るものが、無神論のようなことを語るのは、いささか自己矛盾的ではあるがお許し願いたい(笑)
同時に律儀にご返答くださって点の誠実さには感謝いたします。その点の真面目さはどの方も変わらず、評価できるところですね。


 さて、確かに田舎のダンディ氏が言われるように、私が否定する「宗教」というものは全世界の何処にでもある。日本にあり、ヨーロッパにあり、中東にあり、中国にあり、ギリシアにあり、アメリカにある。堂々と「普遍的なもの」と言い切れるほど、何処にでもある。
 それを何故かと問うなら、宗教は元々は「科学」であったからである。つまり、「未知や不明に対しての説明を与えて満足させる役割」がきちんと存在した。 「宇宙の成り立ち」「人類の由来」「人生の幸不幸」などの当時の人達には、皆目検討がつかない事象に対する説明の為に必要だったからこそ、宗教は文明の発達(=知性の芽生え)と共に常に普遍的に存在するのである。
 そして、「宇宙は神が創った。」「人間は神が創ったのである。」「この世の運不運は全て前世の因縁」などの具体的な形で、未知に困惑する人々に誤りは多いが「知識」を与えて、立派に説明責任を果たしてきた。貴方が言われる「眼に見えない大いなる力」に対してをも、説明を与えるだろう。
 世界を説明するといったような意味では、貴方の言われる通り、宗教は少なくとも近代以前意味はあった。

 しかし、現代に至ってはどうだろうか?宗教は必ずしも必要だろうか?
田舎のダンディ氏は「宗教そのものが時代を超え、時代を導くレベルに脱皮しなければならない」とのことであるが、それは違う。
 なぜなら、偽りの物語、主観的な価値判断で世界を説明する「偽者の科学(=宗教)」よりも、より客観的でより真実を探り出す「本物の科学」が誕生したからである。大川隆法氏のような「私は神だ!神の化身だ!」という荒唐無稽な主張さえ正当化してしまう偽者の科学と、客観的な真理(仮説も多いものの)を提示してくれる本物の科学、正確性や説得力という点で、どちらが優れているかは言うまでも無い。
 よって、本物の「科学」が生まれた以上、現代にもはや宗教は「本質的には必要無い」。時代を超える云々の話では無く、宗教自体が本来ならばそれ自体「過去のもの」なのである。どれだけ昔に功績を残したとしても、遺物は遺物であり、少なくとも、「偽りの科学としての宗教」はご退場いただきたい。近年に至っても、未だに宗教が幅を効かせており、例えば中東ではいまだにジハードやらをのたまう事があるが、それらの宗教は基本的に「過去の栄光に縋ってのさばっているだけ」と云えるし、やはり、宗教対立などで死人がでる前に宗教自体が潔く去るべきだ。

 以上が、私が「宗教は必要ない」と宗教不要説を唱える背景にある考え方である。
 無論、「幸福の科学」もその意味で宗教であり、偽者の科学であり、一介の人間をエル・カンターレだの、釈迦如来だの、根拠も無く言い放つ点で「偽者の科学」っぷりを露呈しており、その点で時代の遺物として取り除かれるべきものであると私は推断する。


※・・・宗教自体が争いの種を生むという危険性をあるという事は付け加えておかなければならない。
あるときは、聖なる戦いに参加せよと人々に人殺しを勧め、
あるときは、金を払えば罪が許されると偽って紙切れを売りつけ、
あるときは、異教を信じると理由で火あぶりの刑に処し、
あるときは、黒人から土地や財産を奪う名目となり、
これらの皆、宗教の「負の側面」であり、宗教は肯定ばかりできるものでは無い
危険な一面を有するのである。

投稿: | 2009年7月 5日 (日) 11:06

神さん いや神さま といった方がいいでしょうか。
あなたのお考えをけしからんという気はありませんが、お名前が自己矛盾ではないですか。

宗教は、人間のあらゆる時代、あらゆる地域に、無かったことが無いといっていいほど普遍的なものでしょう。いま、当たり前だと思われている人間の価値観の多くが、宗教やその指導者からもたらされたものだといわれています。あなた自身のお考えも、そうした積み重ねがあって、もたらされているとお考えになってもいいのではないかと思います。

だから、無神論も、唯物論も、人間に許された自由な発想から生まれたもので、考えること自体は咎められることではないと思います。自分を信じ、宗教なんかに頼らなくても立派に生きていけるというのは素晴らしいと思います。

ただ、多くの方が、眼に見えない大いなる力があるような気がして、自分勝手な生き方を制御しているのも事実です。唯物論国家といわれるソ連が崩壊して、ロシアの指導者になったプーチンさんが、これまで制約されていた教会の活動を認める方向になったのは、社会・国家は、人知で統制するだけではうまくいかないと考えたからだと思います。

しかし、その肝心の宗教も、古い時代には確かに価値があったかもしれないが、今のような時代にはむしろ不要ではないかと思われるほど、時代に適合しなくなっているのも、神さんがご指摘の通りだと思います。だから、宗教そのものが時代を超え、時代を導くレベルに脱皮しなければならないということで、そうした時代の要請に応えようとしている唯一のものが大川総裁の教えだということです。

<人を束縛する要素があるものは全てなくなってしまってもいい>という神さんのこれからの人生で、「いや、そうではないかも知れない」と思う日が必ず来るはずです。私に疑問を投げかけられるのは当然だと思いますが、「束縛するものはいらない」という考えは、世界の中で極めて少数派でしょう。あなたも、その束縛によって守られてきたのではありませんか。

投稿: 田舎のダンディ | 2009年7月 5日 (日) 07:54

>>田舎のダンディ
おおっ、本物の幸福の科学信者ですか?
そうならば、少し感動です・・・本物は中々周りにいませんから^^;

さて、早速なので、一つ質問させてもらいますね。
貴方が「宗教自体はなくてはならない大切なものだと思います」と言い切る根拠は何ですか?「むしろ、宗教が問題を起こしているともいえます。」と言うぐらいなら、宗教を捨て去るという選択肢もあるかと思いますが・・・。

無神論者で宗教嫌いの私からすれば、宗教を求める人の心理が不思議でなりません。宗教などは、人を束縛する要素があるものは全てなくなってしまってもいいかと思いますし。

投稿: | 2009年7月 5日 (日) 06:17

田舎のダンディ・さん
 釈迦は「自分自身しか救えないから世俗を絶って修行に専念しなさい」と言っているのです。
 ランド女史も「誇り高く生きるしかない」と言っています。
 基本的には同じと思います。
 
 
 解決できないからこそ「火宅」なのです。
 
 残念ながら
 仏教でないものを仏教と偽ることで世界は救われません!絶対に・・・

投稿: 柳生昴 | 2009年7月 4日 (土) 14:26

意気軒高で、したたかな論理展開の柳生さん!伝えられている教えや資料を勉強し、身に付けておられる知識は、素晴らしいと思います。でも、ちょっと本質からそれていると思います。

柳生さんが、<両者をごちゃ混ぜにしている(統合しようとする)>のはおかしいというくらい、根本原理が違う宗教が、互いに相容れないまま並存し、世界の問題をほとんど解決できないというのが現状です。むしろ、宗教が問題を起こしているともいえます。

でも、宗教自体はなくてはならない大切なものだと思います。同時に、いかなる世界宗教といえども、宗教というのは、ある意味、みな「カルト」だともいえます。

「何故そうなっているのか」という立場から既存の宗教を見て、それぞれの宗教の本質、つまり教えの特徴・素晴らしさ・問題点を説きあかし、現状を克服するには、これまでの宗教を超えた、次元の高い宗教が現われなければ解決できないといっているのが、大川総裁の教えです。

宗教学者的立場で、解釈が違うとか、ある宗教の祖はこういったとかの異論・反論は確かにあると思いますが、ではどうすれば現状を克服できるとお考えでしょう。正直なところ、時代遅れになっているような宗教がほとんどでしょう。原理主義的なこだわりを捨てなければ、あるいは、新たな発想の宗教が出なければ、現状の克服は難しいというのは、誰でも分かると思います。

如何に優れた解釈をしようと、「そんなことでは、既存の宗教が抱える、本質的問題は解決できない」と柳生さんご自身、そう理解されているはずです。出来れば、柳生教を興すつもりで、提案されてはどうですか。批判は容易ですが、評価に耐えうる立派な宗旨は、そう簡単には構築出来ないと思います。私は、大川総裁は本物だと思います。

投稿: 田舎のダンディ | 2009年7月 4日 (土) 07:02

緑の保守派の尊野ジョーイ・さん
 カルトに一神教も多神教もないですネ。
 これも原典にあたらず解釈ばかり飛躍するからです。

投稿: 柳生昴 | 2009年7月 3日 (金) 22:35

(リンク先を簡潔なものに変えてみました、新しい環境保護思想である「緑の保守」の利点について語っています(^^))

 キリスト教も、教理や神学やらが隆盛ですが、全部、勝手な解釈ですね。

 聖書を原文で直接に読解するのが正当でしょう。

(これを実行したのが、M屋の手島郁郎先生です)

投稿: 緑の保守派の尊野ジョーイ | 2009年7月 3日 (金) 22:29

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